北朝鮮の金正恩党委員長は、1984年1月8日生まれで、現在は満33歳だとされる。この誕生日は、米財務省が正恩氏を制裁指定する際に発表したものだ。同氏が生まれた年については、これ以前にもいくつかの説が出ていたが、いずれにせよ、30代の若さであることに変わりはない。
現在も「身近」に
しかしこれまでの彼の人生の短さと比べ、その経歴には謎の部分が多い。たとえば、正恩氏がかつて身分を秘匿して軍に入隊、下級兵士として「シゴキ」や「パシリ」を経験したとの説も、一部の脱北者の間でささやかれるにとどまっている。
正恩氏は2年弱に及んだこの軍隊経験をはさみ、国内最高学府である金日成総合大学と、軍の高位指揮官や参謀を養成する金日成総合軍事大学(以下、軍事大学)で教育を受けている。
では、正恩氏はここで、どのような大学生活を送ったのか。それ自体がまた謎なのだが、自身も脱北者で、北朝鮮中枢の人事情報に精通する北朝鮮戦略情報センター(NKSIS)代表の李潤傑(イ・ユンゴル)氏が、面白いエピソードを伝えている。
同氏によれば、正恩氏がより本格的な教育を受けたのは、軍事大学の方だった。在学期間は、2007年初めから約3年間だったという。といっても、ほかの学生といっしょに大学生活を送ったわけではなく、正恩氏ひとりのために組まれた特別カリキュラムを履修したとのことだ。父・金正日総書記の後継者となるため、軍事面の指導に必要な知識を大急ぎで詰め込んだわけである。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面そのため、正恩氏は軍事大学を卒業するまでにかなりの苦労をしたようだ。朝9時から夕方5時まで、昼食時以外はほぼぶっ通しで講義が続いた。課題も多く、休めるのは日曜日だけだったという。
そしてより興味深いのは、そんな正恩氏には常に、2人の若き美女が寄り添っていたということだ。李氏によれば、2人は軍事大学のコンピュータ部門に所属する将校で、正恩氏の学業に必要な資料の作成に携わっていたという。
そして、正恩氏と彼女らの関係はこれだけではなかった。正恩氏は一方の女性将校をいたく気に入り、学業の気晴らしに一緒に卓球などをして遊んだかと思えば、平壌市内の高級レストランでデートを楽しみもしたという。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面正恩氏のそばにこのような人材が付けられたのは、もちろん、「上からの配慮」によるものだろう。こうした部分が、北朝鮮の権力中枢に「喜び組文化」とでも呼ぶべきものが、深く根を下ろしていることを垣間見せている。
正恩氏も、父親に似て「パーティー狂い」の癖があると言われるが、それももしかしたら、軍事大学での経験が下地になっているのではないか。ちなみに件の女性将校2人は現在も、正恩氏の身近で仕えているという。おそらくは金正恩氏の「親衛隊」である護衛総局に所属し、この先、北朝鮮の体制に何があろうとも、正恩氏と運命をともにすることになる境遇にあると思われる。
(参考記事:北朝鮮「秘密パーティーのコンパニオン」に動員される女学生たちの涙)高英起(コウ・ヨンギ)
1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 、 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 、 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。