人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

チェ氏によると、海上拉致は「漁民作戦」と名付けられ、日本海側の元山(ウォンサン)近くなどを拠点に60年代から80年代中頃まで繰り返された。作戦に使用する工作船の船体には漢字で「〇〇丸」と日本式の船名が書かれ、乗り組む工作員たちはある程度の日本語を話す。さらに、日本製の腕時計や服などを身につけるなど、日本の漁船を装って、夜に無灯火で日本漁船に近づき、船を襲撃するのだ。

工作員たちは、日本漁船に乗り込むやいなや、ナイフや銃で船員たちを制圧し、10〜30代の健康そうな若者だけを連行する。その他の船員たちは船倉や船室に閉じ込めて、証拠隠滅のため、船ごと沈める。作戦は、年に3回から2年に1回ほど実行されたことから、拉致被害者は10人以上、殺害された人は50人〜60人以上に上る可能性もある。

漁民拉致の目的は、日本海沿岸の地理や軍事基地などの状況を把握するためだった。