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9年前、中国で韓国の大企業の中国駐在員として働くある人と私が、どんな仕事をしているのかという話題で話をした。私が北朝鮮の人々の人権と、北朝鮮の民主化のために働いていると言うと、その人はすぐに、”民族統一のために苦労なさっている方ですね”と言った。

私は統一のために仕事をしていると言ったのではないのに、その人がそのように話し、瞬間的に非常に狼狽して当惑したが、北朝鮮の民主化といえば統一と考える、かつて多かった韓国人の思考習慣を思い出して理解した。

このように、10年前や20年前には、北朝鮮の体制の崩壊や、北朝鮮の民主化=南北統一という公式が、多くの韓国人の頭の中にあった。そのため、南北統一を嫌う人々は、北朝鮮体制の崩壊も嫌う傾向にあった。

だが、最近は人々が国際情勢に目覚め始め、北朝鮮の体制の崩壊イコール統一ではないと考えるようになり、北朝鮮問題に関して、中国警戒論が多くの人の間で広まった。中国警戒論が拡散し、北朝鮮の体制の崩壊後、無理を甘受してすぐに早期統一を推進しなければならないという主張まで拡散している。

長年にわたって分断されていたうちに、南北間ではあらゆるものが変わった。ある人は、60年間分断されていたといって、何をそのように軽はずみに言うのかというかも知れないが、現在の60年は、18世紀までの600年に相当する時間だといえる。

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現代、世界は一つになって通じているため、南北が分断されていても、互いに世界に通じていたら、分断の意味はそれほど大きくはないともいえる。だが、韓国は世界と通じていたが、北朝鮮は門を堅く閉ざしていた。したがって、分断によって生ずる異質感と実質的な差は非常に大きい。

このような異質感のため、あるいは北朝鮮に出費しなければならない統一費用のため、若い世代の過半数が統一に反対している。そして、統一を支持する人々の中でも、多くの人が、統一が絶対的当為という単純な義務感のため支持しているのであって、統一が喜ばしいことであるから支持するという人はそれほど多くない。

私はここで、統一があるべきことなのかそうでないのか、統一を必ずしなければならないのか、そうでないのかを論理的に計算しようとは思わない。南北の多くの純粋な心を持つ人たちが、統一を念願しているという条件で、私も条件をあれこれ計算しないで統一を支持したい。だが、早期統一ではない。

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民主主義社会では、国家がすべてのものを保護してくれず、すべてのものの責任も負わない。現在、北朝鮮の社会は社会主義社会と見ることもできず、ほとんどマフィア体制と言えるから、一般の民主主義社会よりも国家が保護してくれることが更に少なく、責任を負うこともほとんどない。国家が個人を保護してくれるというよりは、食べることができなくていらいらする所が北朝鮮だ。

しかし、悪辣な現体制が崩壊したら、北朝鮮の住民は国家から何か保護を受けたいという考えが、急激に増大するだろう。韓国の住民は、国家から様々な多くの保護を受けているが、それよりも個人が自らを保護する能力と責任感がかなり発達している。

だが、北朝鮮の住民は、極端な飢餓の状態と混乱状態で、自己に対する保護能力は韓国の住民よりあるが、相対的に安定した法治社会での、個人的責任感や自己保護能力は、韓国の住民にかなりおとるだろう。問題は、北朝鮮の住民が国家から何か保護を受けたことはあまりないが、きちんとした国家が登場すれば、国家が多くの面倒を見てくれて、保護してくれなければならないという観念が、非常に強いということだ。

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北朝鮮の体制が崩壊して、正常化した後、北朝鮮の社会福祉が早い速度で改善することは疑いの余地がない。しかし、北朝鮮が正常化されても、韓国の福祉水準とは非常に大きな差があり、この差を無理やりに補おうとすることは、どちらにとってもよくない。韓国の立場としては、北朝鮮の社会福祉を韓国と似たレベルで維持するためには、おびただしい資金を降りそそがなければならないが、これは韓国の経済的能力を考えると、非常に大きな犠牲と打撃になり得る。

北朝鮮にとっても、よいとはいえない。世界のどこを見ても、その社会の発展水準に比べて度が外れた社会福祉が、肯定的な役割を果たすことはなかった。社会の発展の度合いに比べて、度が外れた社会福祉は、人々を無気力にさせて、自主的態度と自立的情熱を弱めることが多々あった。

そのような過度な社会福祉の恩恵が、否定的な役割を果たすということを、社会福祉の恩恵を与える側も受ける側も、非常によく分かっている。けれども、一端そうした制度が導入されれば、誰もそれを改革する意欲を出すことができない。それはおびただしく力強い自己慣性力を持っているからだ。また、一定水準の社会福祉の恩恵が一度導入されたら、それに対する依存度が非常に高まり、それを失ったらまともに暮らすことができるかという不安が、何よりも大きくなるからだ。(続く)