この時、北朝鮮国営の航空会社、高麗航空北京支社の代表と副代表など3〜4人の職員も処刑され、家族は全員収容所送りになったという。この中には、金正男氏の旅行の手配や、荷物の運送を行なっていただけの職員も含まれていた。
朝鮮労働党の指示で、金正男氏を補佐していた労働党対外連絡部(225局)のカン氏などの要員も、同時期に処刑され、肝臓がんで死亡したことにされたという。
この元幹部は、1980年代に金正男氏の存在を知り、平壌で数回見かけたことはあったものの、一般住民はもちろん労働党の幹部ですら、彼や金氏一家のことを知らなかったと証言した。