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親戚の家族が、テレビが1台あればよいねと言って買ってあげたが、次に北朝鮮を訪問した時、もう1台買ってほしいと言われたという。以前のものはどうなったのかと聞くと、党から貸してくれと言われて貸したがまだ返してくれないとのことだ。返してくれと言うこともできずに、様子だけ見ているというが、もう1台買ってほしいという言葉を聞いて、その家族はいったい、そのまま帰ることができただろうか?このようなことが何度もあった。

それでも深い山奥には青菜があるので、草粥で命をつないできたという。山に木がないので、松の内皮をかき集めて食べることもできず、あまり動けない子供や老人はそのまま死んでいった。

中国の瀋陽に西塔というコレアタウンがあり、そこに行くと、コチェビ(浮浪児)が道で私たちを見つめてずっとついて来て、咸鏡道のどこどこから来たが、お金を集めてお母さんの病気を治したいのでお金を少しくださいと言ってずっとついて回ってくる。本当にしつこくついてくる。

行動が疑わしかったので、「どこで食べて寝ているのか?何人かで一緒にいるのか?一度行ってみよう」と言った。彼らは、朝ごはんは食堂に言って安く食べて、昼は歩きながら適当に食べて、その日お金が少しできたら夜はお腹いっぱい食べるという。

お金をあげるから宿に言ってみようと言うと逃げていってしまう。後に分かったことだが、中国に住んでいる朝鮮族の子供たちが、北朝鮮から来たと言えば韓国の旅行客は疑わずにお金をくれるので、最初からこうやって物乞いをしているそうだ。

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かんばつがひどい時、大同江の水を農業に使うため、軍人たちが動員されて水流を田んぼに回そうとしたが、器具が足りなくて人民たちは苦労をした。

空腹!これは経験しないと分からない。最近、私たちの子供に過去の食べられなかった時代の話をすると、「冷蔵庫を開けて食べ物を取り出せばいいでしょう、お腹が空いているのになんで我慢するの?」と聞いてくるという。


案内員も一緒に食事をとって、残った料理はみんな包んで家に持って行く

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北朝鮮を旅行するときは、車の中に貴重品が見えたら車の窓を破壊されるので、後ろのトランクにかばんを入れるようにしていた。平壌の駅前の地下道に行くと、物乞いをする子供たちが本当に多い。お金をくれとついて来ることもある。どの国にも物乞いをする人はいるものだが、ここは社会全体が物乞いだ。

苦しい時代なので案内員も一緒に食事をしたら、料理をさらに頼んで、残った物は必ず包んで家に持って帰った。

200万人が餓死して全世界の耳目を引いた地。国境をこっそり越えて中国でさまよいながら、隠れて生きて行く北朝鮮の兄弟たち。韓国に来さえすればよい暮らしができるという期待を抱き、命を懸けて大使館の塀を越えなければならない同族。言葉では表現しつくせない。

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最近は北朝鮮を脱出して中国に何年もとどまって、最初から長期戦に臨むという。食べ物の問題だけ解決すれば、交通の不便な深い山奥にお嫁に行って中国人も朝鮮族も関係なく子供を生んで暮らす人もいて、機会さえあれば逃げて来て食堂や酒屋で、さらには体も売ってお金を稼いで、韓国に送ってあげるというブローカーに大金を支払って韓国に来るというのだ。

なぜ?北朝鮮の人たちは中国の僑胞でもないのに、お金を払って韓国に来なければいけないのか?理解ができない。大韓民国は何を考えているのか?

しばらく前に脱北者と話をする機会があった。韓国に行けば定着金をいくらかもらえるので、そのお金からいくら払うか決めて、中国で誰かが保証人になってくれて、韓国に来る計画を立てて行動を開始するという。脱北者全てがこうして韓国に来るわけではないが、多くの場合、お金がない脱北者とブローカーの利害が一致して実行される。組織もうまくできているという。お金を稼ぐ方法もさまざまだ。このような方法で韓国に来る北朝鮮の人がとても多いという。韓国政府はこの事実を把握しているのか。。。

ホテルの奉仕員も党幹部の子供でなければダメ

それでは、韓国政府がやるべきことは何か?解決策は出ている。

国連の難民保護と関連して、国連の力と資金の後援のもとに中国に収容所を作り、一定期間収容してから韓国に連れてくれば、人道レベルでよりよい結果を得ることができる。しかし中国は、依然として脱北者を難民として認定していない。韓国政府は中国に対して外交的努力を傾けなければならないが、むしろ逆に金正日の様子をうかがっている。

こうした人たちは数人ずつ集まって、ガイドについて夜を利用し、何ヶ月もかけてベトナムまで行き、再び他の国を経由して韓国に来ることになるという。映画のような必死の脱出作戦だ。また、中国の瀋陽などからモンゴルを越えて韓国に来ることもある。砂漠を越えなくてはならない脱北者の苦しい心情を考えるとこの上なく悲痛だ。

以前は全く見かけなかった、靴の修繕をするおじいさんを、平壌のアンサンガクの湖のほとりの森の中で見かけるようになった。直している靴を見ると、もう修理は不可能なプラスチックのスリッパまで直してくれと言われるという。どうやって直すのかと聞いてみると、「なんとかしなくてはね。履こうと思って修理を頼んできてるんだから。。。」それでいくらもらうのかと聞くと、「値段なんてありますか?」と言う。

本当に苦しい時期を生きていた。ホテルの食堂に就職するのも、高級党員の夫人や子供でなければ不可能だ。さらにはホテルのロビーやタバコの灰皿を掃除する仕事まで、高い地位についている人の子供や夫人が行う。ここでは言葉を一度間違えるだけで、すぐに上部に報告される。互いが互いをうかがいながら警戒して生きてゆくのだ。(終)