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金正日は主体思想自体に、もとより関心がなかった。ただ主体思想を自分の権力獲得及び権力強化に利用することばかりに関心があった。

主体思想が具体化されないことは、彼の立場ではむしろ一層有利なことだった。思想を神秘化させるのに有利で、勝手に解釈して悪用することができる余地も多く、イデオロギー的拘束を受けないからだ。

70年代から北朝鮮社会は急速に脱イデオロギー化するようになるが、それは 1) 金日成-金正日連合権力の前近代的性格 2) マルクス-レーニン主義の研究、学習の統制、弾圧 3) 指導思想として登場した主体思想が、本質的に非イデオロギー的な性格を持っていた点 4) 政治理論がない主体思想の非具体性 5)イデオロギー的論争は完全に排除されて、ただ金日成、金正日の言葉だけを覚えなければならない政治風土などの原因のためだった。

北朝鮮社会で共産主義思想はイデオロギーとしての生命力を失い、共産主義についてイデオロギー的な関心を持つ人はほとんどいなくなってしまった。

労働党の宣伝扇動部やその他の宣伝関連機関は、共産主義思想に関して宣伝する熱意がほとんどなく、ただ金日成、金正日をどのようにほめたたえて、どのように偶像化しなければならないかに関心を集中した。

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出世は二の次の問題だった。そうしなければ生き残ることができないからだった。自分の地位を守るのが問題ではなく、自分と家族が獣以下の生活をしなければならない政治犯収容所に引かれて行かないためには、イデオロギー的関心を完全に封じ込めて、ただ金日成、金正日をどのようにほめたたえるかということにだけ関心を傾けなければならなかった。

この時期には、脱イデオロギー的傾向を見せるだけでなく、朝鮮労働党の権威と権力も少しずつ弱まった。

金日成はパク・クムチョルとキム・チャンボンを粛正する時は党を前面に出したが、唯一権力体制を樹立した後は、党を強化することにあまり関心がないようだった。特に金正日の場合、権力を強化して集中させるために、党の組織を活用したが、党の権威はいつも金日成と自分の下に置かれるようにした。

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そして党の公式的な指導体制を無視し、党の形式的な会議も煩い、党大会も何の理由もないまま、長期間開かなかった。

その過程で党の権威と権力は弱められ、党の幹部も党の規律と党の決定を守るのに関心を持つよりは、どのようにすれば金正日に憎まれないかということにだけ関心を持つようになった。

党の絶対的地位の弱体化

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党の指導部の雰囲気が良くないため、こうした雰囲気は徐々に党の中間と党の下部に伝わり、労働党が北朝鮮で持っていた絶対的地位は徐々に弱まるようになった。

そしてこの時期に、政治犯収容所と、国家保衛部の漏れるところのない緻密な監視と、国家暴力を振るうことができる機関と組職が、急激に強化された。おびただしい数の人々がこの時期に、明白な理由もなく政治犯収容所に引かれて行き、国家全体に恐怖が漂った。

67年までは共産主義イデオロギーと労働党が体制の主要な柱であり、恐怖は体制維持の主要要素ではなかったが、67年からは恐怖が体制維持のかなり重要な要素になり始めた。

しかし、80年代までは金日成と金正日の偶像化と洗脳作業が、恐怖よりも重要な体制維持の要素だった。

この時期の特徴は、 1) 金日成、金正日の偶像化にすべての力量を集中 2) 金日成、金正日が絶対的権威と絶対権力を持って鉄拳統治 3) 脱マルクス-レーニン主義の傾向と脱イデオロギー的傾向 4) 国民の監視機関と政治暴力機関の急激な強化 5) 朝鮮労働党の権威と権力が徐々に弱化、というものであった。(続く)