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筆者がアメリカでジーンズ工場を5年間経営していた時のことだ。

若者たちに高級ブランドとして知られていた’GUESS’ブランドのオリジナルジーンズとズボンを生産して、1着200ドルを超える男性用の高級シャツを作っていた。ジーンズを北朝鮮で生産して見たくて、適当な縫製工場を探していた時、’ラクウォン第3貿易商社’のイ・ムンソプ社長の紹介でK社長に会った。

丸やかな印象にちょっと舌が短い話し方をする人だったので、日本から永久帰国した人だとすぐに分かった。イ・ムンソプ社長は、K社長が直接工場を運営していて、日本で縫製を学んでいたから、技術的には特に問題がないと言ってくれた。そのため、すぐに工場を訪問することにした。

平壌市のピョンチョン区域にある工場では、職工30人余りが端正な服装で女性用のブラウスを作っていた。製品が比較的高級なデザインであったため、販売所を聞いたら中央党の女性たちが行事の時に着る服だと言った。K社長は日本人のように少し気忙しい。

ところが、どれだけ親切なのか、離散家族に会ったような気分だった。筆者もK社長が住みやすい日本から来たというので、今の生活はどれだけ辛いだろうかとあわれな気がした。祖国だといってやって来て、それでも技術が認められて工場でも運営して少しは慰めになるかも知れないが、それでも日本での生活を思えばどれだけ辛いだろうかと思い、心から同情した。

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相談をしたら、日本の朝鮮総連系の縫製工場と合弁で始めたばかりだが、今後は日本に輸出することができる服を作る計画だと言った。ジーンズを作るには、まずミシンを別に準備しなければならないが、裁縫の機械は日本から持って来ることができると言った。まず次の訪問の時にジーンズの見本を作ることができる原、副資材を持って来て、直接生産して評価をして見ることにして別れた。

息子だけは日本に置いて来ればよかったと後悔したK社長

そこでは何も話はなかったが、夕食を一緒にすることにしたと案内員が時間の約束までしてきた。本当に変わった人たちだ。相談をして別れる時、その場で夕食の約束をしてもよいのに、必ず別に案内員とまず合意の手続きを踏んだ。

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平壌を訪問していた間、案内員が書記兼身辺保護の責任者だ。また、日程の管理を引き受ける義務を負っているため、案内員の許可なしにはどんな仕事もできないようになっている。

夕食は高麗ホテルの別室。K社長は私を見ると、日本にいる兄を思い出すと言いながら、手をわずかに震わせた。平壌に来てお酒を学んだと言いながらビールを結壕?゙。アメリカの海外同胞たちの生活に対する関心も高く、質問が多かった。住んでいた日本が懐かしく、質問も多かったのだろう。

彼女の目から、何かを訴えたそうな心情が読めた。日本で離婚して息子1人だけを連れて、単身で祖国に来たという。後悔しているようだった。

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息子を日本の実家の母のもとに置いて来たらよかったのに、過ちを犯したと酒の勢いで話した。横から膝をさすった。案内員が聞いているのに、何か問題が起こるのではないかと心配になって、こっそりと足でさすった。それまで積もった不満と悲しみが一気に溢れ出るようで、気が気でなかった。

彼女は“偉大なお父様首領様と、親愛する金正日将軍様の熱い思いやりで、年に1回ずつ日本に行っていますから私は幸せです”と1回ずつ強調して言っている。案内員の機嫌をうかがいながら適当にうまく打ち明けていた。

人種差別がひどい日本の人たちから圧迫を受けて暮らしていた時よりはずっと幸せだと大きな声で強調した。筆者の目には不満を隠すための意図的な愚痴としか思えなかった。その心境をゆっくりと推し量っていたら、私の心も悲しくなった。どれだけ後悔をしているのか、胸中が見えるようだった。

数日間、夜通しで手作りの洋服を

次にいらっしゃる時は兄と呼ぶと言う。さばさばした性格だ。案内員にも、 “案内員ドンジ!私をお姉さんと呼んで。私がお姉さん役になるからね” と言っていた。

周囲に親戚がおらず、とても寂しいと言う。日本の兄が送ってくれた自家用車もあり、それなりに偉大な首領様と親愛する指導者同志に心から仕えて幸せに暮らしていると、結高リちゃくちゃしゃべっていた。こうした感激が入り交じった表現をすればこそ、被害を受けないという習慣がにじみ出ているかのようだった。

夕食後、案内員と、一緒に来た自分の職員と共に私の部屋にやって来た。記念に洋服を1着作ってさし上げたいのでサイズをはかりたいという。嫌だと言っても聞かないだろう。案内員にも勧めた。お兄さんに洋服を1着手作りしてプレゼントするというのに、どうして断るのと巻き尺を突き付ける。案内員にすまなくて、それでは案内員も1着作ってほしいと言ったら気持ちよく応じてくれた。

“それでは案内員さんからはかります”

ガイドの寸法が私に似ている。時々とり変えて着てもよいねと言って、ひとしきり笑った。

洋服の生地も数種類あらかじめ持って来ていた。私は淡い灰色に柄があるものに決めた。2日後には出国する。だが、一晩で作って仮縫いをしに来た。びっくりした。一晩で作ったというのだ。試着してみたら少し大きい。

また持って行って、出国する日の明け方に持って来てくれた。並大抵の誠意ではない。試着してみたら、それでも少し大きかった。服に力がなく、ズボンもゆるい。

作ってくれた人が、むしろありがたいと10回も20回もお辞儀をしている。出国する時に必ず着て行ってと言っている。気に入ったものではなかったが、誠意がありがたくて空港に着て行った。他人の服を借りて着たように、体に合わない。それでも案内員が触りながら、“誠意がすごい。本当に格好よい。ぴったりとお似合いです。次に祖国にいらっしゃる時、この服を必ず着て来てください”と、しきりに褒め言葉を並べた。

2ヶ月後に平壌を訪問した時、ジーンズの見本と布地、縫い針、糸などを全部準備して、K社長にプレゼントの化粧品と一緒に渡した。