「帰国事業」で北朝鮮に 日本人妻の帰郷実現を 大津町の林さん親子、要望活動本格化

日本による植民地支配で、朝鮮半島から移住した男性と結婚し、その後、日朝の「帰国事業」で北朝鮮に渡った日本人妻たち。一時帰国を望む妻たちは、存命なら多くが90歳以上。残された時間は少ない-。日本人妻の姉を持ち、熊本県大津町に住んでいた林恵子さん(70)と次男真義さん(41)の親子は、姉ら日本人妻の里帰り実現に向けて活動を続けている。26日に大津町から神奈川県へ転居。国への要望活動を本格化させる構えだ。

北朝鮮に渡った姉は菊池市出身の中本愛子さん(89)。妹の恵子さんは2018年、訪朝し、約60年ぶりに愛子さんと再会した。翌年も再び姉の元を訪れ、愛子さんの孫の結婚式にも参列したという。恵子さんは「姉さんは日本の親族を周りに紹介できて、誇らしそうだった。一方、『(良心の)呵責[かしゃく]がある』とも話していた。他の日本人妻より先に、自分だけ親族との再会を果たし、負い目を感じていたのでしょう」と話す。
国交がない北朝鮮を訪ねるのは容易ではない。恵子さんは中国経由で渡航。宿泊費や現地でのガイド料などを含め、渡航費は総額40万円に上った。2度目は日本に帰国する際、税関でスーツケースの中身を全て調べられた。恵子さんは「1度目は素通り。北朝鮮への渡航歴があったから、目を付けられたのでしょう」と振り返る。

こうした経験もあって、日本人妻と親族との橋渡し役になろうと、恵子さんと真義さんは昨年、日本人妻や終戦前後の混乱で北朝鮮に残留した荒井琉璃子さん(88)=南小国町出身=の一時帰国と、墓参りを求める要望書を茂木敏充外務相宛てに提出した。任意団体「日本朝鮮にじの会」も立ち上げ、会員を募るほか、ツイッターでも情報発信している。

活動を本格化させることを決めた林さん親子は、4月末に勤めていた福祉事業所を退職。上京後は、官僚や政治家、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関係者らに趣旨を直接訴える計画だ。

帰国事業が実施された歴史的背景には、在日朝鮮人を厄介な存在と見る日本政府の差別があったとも指摘されている。真義さんは「歴史的な経緯を反省する政治家と人脈をつくり、政権与党の決断を促したい」と力を込める。

新型コロナウイルスの世界的な流行後、以前のように手紙を書いても返事が来なくなり、北朝鮮はさらに「近くて遠い国」になった。

恵子さんは「会えば数十年の空白が埋まる。日本にいる他の親族にも日本人妻の現状を説明し、1人でも再会してもらいたい」。姉が感じている「呵責」を、自分も背負うつもりだ。(高宗亮輔)

日朝の赤十字が進めた帰国事業で北朝鮮に渡った日本人妻、中本愛子さん(89)=菊池市出身=と、終戦前後の混乱で北朝鮮に残留した荒井琉璃子さん(88)=南小国町出身=らの取材を続ける東京在住の写真家・林典子さん(37)が、熊本日日新聞のオンラインインタビューに応じた。林さんは「日本人妻と残留邦人は、政治に翻弄[ほんろう]された普通の女性。日本政府は人道問題として、里帰りに取り組むべきだ」と話す。(聞き手・高宗亮輔)

-なぜ日本人妻の取材を始めたのですか。

「現地で暮らす様子があまり伝えられてこなかったからだ。1人でもいいから話を聞こうと思い、2013年から北朝鮮を計12回訪れ、9人の日本人妻と荒井さんの取材を続けてきた」

-北朝鮮にいる日本人妻たちのそれぞれの思いを、どのように感じましたか。

「彼女たちは日本のことを鮮明に覚えており、帰郷と墓参りを強く望んでいる。取材の帰り際に『行かないで』と、手を握り締められたことがあった。一方で、日本の写真を見せると、複雑な表情でじっと見つめた人もいる。日本に帰れない状況の中でそれぞれが違う気持ちの区切り方をしてきたのだろう」

-日本に里帰りした日本人妻はいるのでしょうか。

「帰国事業では、在日朝鮮人と結婚した日本人約1830人が北朝鮮に渡ったとされる。大半は女性。日本に一時帰国する里帰り事業が1997~2000年に実施されたが、参加したのはわずか43人だ」

-家族に結婚を反対されて北朝鮮に渡った日本人妻は少なくないと聞きます。

「自分の人生を模索する姿に強く共感するし、自分も同じ立場だったら北朝鮮に渡ったかもしれない。彼女たちは特別ではない。普通の日本人女性が北朝鮮に渡ったと思う」

-日本政府や熊本県を含む地方議会は帰国事業(1959~84年)を推進しました。

「日本人妻は政治と時代に翻弄[ほんろう]されており、『勝手に北朝鮮に渡ったから仕方ない』と、切り捨てられるのはおかしい。里帰り事業に参加した日本人妻は里帰りできず死亡した人について、『心に石が詰まったまま、亡くなっていく』と話していた。訪問すると、誰かが亡くなっていることは珍しくない。里帰りの実現には一刻の猶予もない」
はやし・のりこ 1983年生まれ、神奈川県出身。米国の大学に在学中の2006年、西アフリカ・ガンビアの新聞社で写真を撮り始める。ジェンダーなどをテーマに、中東や中央アジアで取材し、国内外で作品を発表。フランス世界報道写真祭VisapourI’Image(ビザ・プール・リマージュ)報道写真特集部門金賞、NPPA全米報道写真家協会賞1位。著書に「フォト・ドキュメンタリー 朝鮮に渡った『日本人妻』」(岩波新書)など。