杭に縛り付けた2人を火炎放射器で灰に…金正恩時代の処刑方法

北朝鮮の歴史は粛清と処刑の歴史だ。それは金王朝の始祖・金日成主席の時代に始まり、金正日総書記の時代にも、金正恩党委員長の時代にも続いている。

ただ、それぞれの時代ごとに少しずつ違った特徴がある。金日成氏の時代、その主な目的はソ連や中国を後ろ盾とした政敵の除去だった。

しかし金正日氏の時代、彼の政敵となり得る存在はもはや根絶やしにされていた。それでも、金正日氏はもっぱら自らの失政から国民の目を背けるため、軍に命じて公開処刑に拍車をかけた。また時には、自らの乱れた私生活を隠ぺいするため、愛人を口封じで処刑したこともある。

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では、金正恩氏の時代に行われている公開処刑の特徴は何か。目的は、金日成時代と金正日時代の混合型と言えるかもしれない。叔父である張成沢(チャン・ソンテク)元朝鮮労働党行政部長を処刑したのは、自らに対抗し得る勢力を未然に除去するためだったはずだ。

(参考記事:「幹部が遊びながら殺した女性を焼いた」北朝鮮権力層の猟奇的な実態

また、スッポン養殖工場の支配人などの官僚たちをやたらと処刑したのは、国家の失敗を現場に押しける行為と言える。

だが、金正日時代の粛清で最も特徴的なのは、処刑方法の残忍さだろう。韓国の国家情報院は2013年12月3日、国会情報委員会に対し「張氏最側近に対する公開処刑が先月下旬に行われた事実が先ごろ確認された」と報告した。処刑された2人は李龍河(リ・リョンハ)党行政部第1部長と張秀吉(チャン・スギル)同副部長だった。

公開処刑は、平壌郊外にある姜建(カンゴン)軍官学校の練兵場で行われた。衛星写真により、これ以前にも公開処刑の様子が捕捉されていた場所だ。

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韓国に亡命した太永浩(テ・ヨンホ)元駐英北朝鮮公使の著書『3階書記室の暗号』や、国情院次長や大統領補佐官を歴任した羅鍾一(ラ・ジョンイル)氏の『張成沢の道』などの情報を総合すると、2人に対する公開処刑の様子は次のようなものだった。

処刑に用いられたのは、大口径の4銃身高射銃である。これで撃たれると、人体は原形をとどめず文字通り「ミンチ」となる。さらに、バラバラになった2人の遺体は火炎放射器で焼かれ、その場で灰になったという。

この方法はその後、玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力部長の処刑においても用いられたと見られている。

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従来、北朝鮮の公開銃殺にはカラシニコフAK47自動小銃が用いられてきた。それでも十分に残忍な殺し方が可能であるにもかかわらず、不必要に破壊力の大きな火器を用いるのは、まさに「金正恩式恐怖政治」の演出と言えた。2人の処刑を見せられた幹部たちはしばらく、食べ物も喉を通らなかったと言われる。

金正恩氏はなぜ、このような行動に出たのか。独裁者となる準備を十分に出来なかったがために、動物的本能で恐怖政治を駆使し、自らの権力基盤を固める必要に駆られたからだと思われる。

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