家族もろとも政敵を抹殺…金正恩氏がメスを入れる「父の時代」の闇

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北朝鮮国営の朝鮮中央通信は17日、「朝鮮労働党中央委員会委員で朝鮮最高人民会議代議員、人民武力省総顧問である金永春氏(朝鮮人民軍元帥)が、急性心筋梗塞によって16日3時10分82歳を一期に惜しくも逝去した」と伝えた。

1936年生まれで、日本の防衛相に相当する人民武力部長、軍総参謀長、国防委員会副委員長などを歴任した金永春(キム・ヨンチュン)氏は、金正日総書記時代を代表する軍の実力者だ。20日に行われた国葬で金正恩党委員長は、雨の中で傘もささずに葬列に加わり、金永春氏への敬意を表した。

しかし金永春氏を巡っては、ある「黒い噂」が囁かれている。

金永春氏の経歴を語る上で欠かせないのが、1990年代半ばの「第6軍団クーデター未遂事件」だ。1994年2月、咸鏡北道(ハムギョンブクト)の清津(チョンジン)に駐屯していた第6軍団に軍団長として赴任した同氏は、軍団内で密かに進行していたクーデター計画を未然に阻止。首謀者を一網打尽にした功で1995年、北朝鮮軍の戦闘指揮官では最高位に当たる総参謀長に就任したとされている。

北朝鮮ではほかにも、クーデター未遂があったと伝えられている。たとえば「フルンゼ軍事大学留学組事件」では、旧ソ連への留学組が根こそぎ粛清された。

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しかし「フルンゼ」にせよ「第6軍団」にせよ、「本当にクーデターが謀議されていたのか?」との疑問は根強く提起されている。3人集まれば1人は秘密警察のスパイであるとも言われる監視網の中、軍の部隊が独自に行動を起こせるか疑わしいというものだ。

たとえば韓国に亡命した元駐英北朝鮮公使の太永浩(テ・ヨンホ)氏は自身のブログで、次のように書いている。

「北朝鮮の内部では、金永春が未然に制圧したとされる『第6軍団クーデター説』は、彼が昇進を目的に大げさにねつ造した事件であり、軍団幹部らが中国との外貨稼ぎで意気投合していたのは事実だが、クーデターを企てたというのは事実無根であるとの噂が出回りました。 しかし、張本人である金永春の存命中は、敢えて(クーデター説を)ひっくり返すことができなかったのです」

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北朝鮮国内で、様々な形で行われる粛清のうち少なくない部分は、政敵同士の権力闘争の結果だとも言われている。

2013年12月、金正恩氏が叔父である張成沢(チャン・ソンテク)元朝鮮労働党行政部長を処刑した出来事は衝撃を呼んだが、張成沢氏もまた、数多くの政敵の血で自らの手を汚していたとされる。

(参考記事:「家族もろとも銃殺」「機関銃で粉々に」…残忍さを増す北朝鮮の粛清現場を衛星画像が確認

北朝鮮の権力者の中には、我々の常識では考えられないほど「やりたい放題」な面々がいるが、自らの野心のため、あるいは保身のために、政敵の家族まで抹殺してしまうというのは、本当に信じがたいことだ。

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太永浩氏は、ブログに「金永春がこの世を去った今、金正恩は遠からず『第6軍団クーデター説』に巻き込まれ、被害を受けた数百人の将校たちとその家族を『名誉回復』させるでしょう」と書いている。

しかし、実行者が金永春氏だったにせよ、事件を最終的に裁いたのは金正日氏だ。金正恩氏は果たして、父親の時代の闇にメスを入れることができるのだろうか。