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今はそのような光景は消えたが、60〜70年代は通りで測量士たちの姿がよく目立った。

新しい道路をならす前に、測量技士が白い土台に赤い紐が張られた長い測量棒を建てて道路を観測したら、遠い所にいる副技士は、とても長い糸が繋がれた棒を持って、前後左右に走り回った。技士が棒と棒の間に繋がれた長い糸が直線につながっているか観察しながら、手で左側、右側と指示すると、副技士は頻繁に動く技士の手に従い測量棒を持って、遠い距離を走るのだった。

熱い夏に、技士の手の動きによって汗をだらだらと流しながら走る副技士の姿は、小学生だった筆者の目にも非常に気の毒に見えた。手だけ動かす人がいる一方で、走らなければならない人がいるから、子供の目には異様な光景だった。

言いたいことは何かというと、北朝鮮の問題も、最初の診断が間違えば、後でそれが結果として出て来た現実に、非常に大きな過ちが発生するということだ。最初の診断は何でもないようだが、一度診断が間違えば、時間と労力と費用で、多くの国家的浪費がもたらされるということである。測量技士(指導者)の手の動き(診断)が間違えば、副技士(公務員、国民)だけが大変な思いをするということだ。医者が病気を診断する時、癌なのか水疱なのかによって、治療方法や治療の期間が完全に違うように、北朝鮮問題も、診断によって対北戦略と方法が変わる。したがって、最も重要な問題が診断、特に初診の正確性だ。

金大中前大統領は太陽政策を始めて、”北朝鮮は改革開放にのりださないはずがない”と診断した。この診断は盧武鉉政府に引き継がれ、去る2月27日のインターネット新聞協会の青瓦台懇談会で、盧武鉉大統領は”北朝鮮は改革開放にのりださないはずがない”と繰り返した。太陽政策も9年たった時点だった。その日懇談会の現場にいた筆者は、盧大統領が助詞一つ間違わないで、まったく同じことを言う姿を見ながら苦笑した。北朝鮮が核実験をしてもまったく同じ言葉を繰り返すので、’百年河清’という言葉をこういう時使うのかと思った。

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‘北朝鮮は改革開放にのりださないはずがない’という言葉は、無条件間違った言葉ではない。全地球的な世界化の大きな流れを見る時、たとえ私たちが何らの対北政策を広げなくても、20〜30年経てば北朝鮮は充分に改革開放しているだろう。この言葉は誰でも言うことができる。問題は何か。時間と労力とお金だ。1年間で牛1匹捕まえることと、10年間で犬一匹捕まえることは同じではない。

また、その長い歳月の間、大多数の北朝鮮の住民の惨めな暮らしはどうして、私たちがつぎ込まなければならないお金と労力はどうするのか?したがって、やみくもに’北朝鮮は改革開放にのりださないはずがない’と言うのは、’人は時間が経てば年をとるだろう’という言葉と違いはない。重要なことは、時間と費用と効果を勘案して、北朝鮮の改革開放を箔ョ的に促進することだ。そうした点から、DJ(金大中)以後、現在までの対北政策は問題が多いということである。また時間−費用−労力の備えの効果の面で、非常にしがない結果が出ているということである。

正確な診断なしに治療方法は捜せず

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そんなDJが、最近もう一度’診断’をした。

彼は”北朝鮮体制が願っても願わなくても、中国またはベトナムのに従って変化している”と述べた。また”北朝鮮に対する国際社会の敵対感が和らいだら、変化が早くなると確信し、他のあらゆる場所と同様に、北朝鮮でも民主主義は外部から強要されることはできない”と語った。また、”アメリカと国際社会が北朝鮮政権に対して安全保障を充分にすれば、北朝鮮はプルトニウムの生産を中断して核兵器を放棄する可能性がある”と付け加えた(15〜16日付’ルモンド’ 会見-インターネットハンギョレ)。

この題目から分かる事実は、DJは相変らず北朝鮮は改革開放にのりださないはずがなく、国際社会が北朝鮮政権の安全保障を担保すれば核をあきらめると信じているということだ。また、外部から北朝鮮に民主主義を強要してはいけないと、相変らず北朝鮮の人権を取り上げてはならないと考えている。

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この言葉を圧縮すれば、外部から言い掛かりをつけずに、北朝鮮政権をそのままほったらかせば、北朝鮮は改革開放に向かい、核兵器もあきらめるということだ。改革開放を助けるために、北朝鮮政権を助けてやらなければならないというのが、DJの一貫した論理だ。

結局、DJの北朝鮮診断は、一つも変わっていない。百歩譲って、この10年近くおしみなくあげたおびただしい量の物資やお金はさておこう。北朝鮮が核実験をする国になったのに、金正日が先軍政治の放棄どころか、更に強化しても、チョン・ドンヨン前長官が北朝鮮もベトナムの改革開放を学ばなければならないと、言葉の間違い(?)をしつつ北朝鮮政府に警告を与えたのに、核放棄どころか核保有国であることを、相変わらず強調しているにもかかわらず、DJはまるで故障した録音機のように、むなしい診断を続けているのだ。

それでは北朝鮮に対する正確な診断は何か。

金正日政権は自ら改革開放をしない。金正日政権は核兵器を放棄しない。金正日政権が続く限り、朝鮮半島に平和は定着せず、緊張状態と弛緩状態が繰り返される。金正日政権が続く限り、大多数の北朝鮮の住民の暮らしは困難で、人間らしい生活を送れない。金正日政権が続く限り、真の和解協力・平和統一は難しい。金正日政権が続く限り、北朝鮮に人権と民主主義は実現されない。更に、今から北朝鮮の急変事態に箔ョ的に備えなければ、南北の7千万全ての人に大きな困難が迫って来る。以上が、北朝鮮に対する正確な診断だ。

したがって以上のような診断の下で、対北政策を練ることが、現実に合っているということだ。

DJは太陽政策で北朝鮮が変わっており、開城工業団地のような経済協力をしきりに行ったら、北朝鮮が改革開放にのりださないはずはないと考えている。太陽政策論者たちの考えは大部分がこうしたものだ。この言葉は、すべて間違っているわけではない。開城工業団地のような経済協力を清津、金策(ソンWン)、咸興、元山、新義州、南浦、ピョンャ唐などで同時に行うことができたら、改革開放のスピードを上げることができるだろう。しかし、それはあくまでも’希望事項’であるにすぎない。

開城工業団地、京義線の東海線だけでも、2000年の首脳会談の直後に計画が出てから既に7年が経った。更に、開城工業団地の入住企業が、事業をあきらめる事例まで生じている。これは金正日政権が、開城工業団地を計画的な改革開放プランによって進行しているのではないからだ。金正日は改革開放のために開城工業団地事業を行うのではなく、政権維持のために現金が必要だから、開城に土地と人(労働者)を貸して、南側からお金をもらっているのだ。

10年の南北関係は疲れるサイクル

太陽政策論者たちは、北朝鮮が変わっていると強調する。北朝鮮が変わってきたことは当たっている。しかし、太陽政策で変わったのではなく、北朝鮮の内部事情によって変わっている。90年代の無惨な食糧難の後、北朝鮮の住民たちは、黙って座って飢え死にしないために、自ら市場を少しずつ開拓し、金正日は到底配給制を維持することができない状況で、2002年の7.1措置を下した。7.1措置とは早い話が、金正日が’今から朕は君たちに配給をすべて与えることができないから、僕たちは我々式社会主義を守りながら、自分で判断して稼いで生計を立てなさい’ということだ。

北朝鮮が変化してきた決定的な要因は、90年代半ば以後、飢え死にしないために市場で行われた住民たちの生存闘争、そして多くの脱北者たちが中国に行って習得した、各種の外部世界の情報の流入だ。更に国際社会の圧力と制裁、中国の役割、国連と国際市民社会の人権圧迫などにより、北朝鮮も変わってきたのだ。中でも決定的な要因は、90年代半ばの食糧難だった。この10年間、北朝鮮の変化で太陽政策が占める実際の比重は10%程度であると考えるのが、比較的正確だろう。過去10年間、韓国に対する北朝鮮の態度は、ひたすら経済支援をもらおうとするものだった。’韓国はあらぬ話はせずに、経済支援をきちんとしてくれればよい’という立場だった。今回の第13回経済推進委員会も、’2.13合意はアメリカと解決するから、君たちは無駄な話をせずに米の支援の担保をして帰ればよい’という態度だった。これが10年間繰り返されてきた、南北関係の疲れるサイクル(cycle)だ。

金正日がどう思っても、北朝鮮が変わっていれば、結局いいのではないかと聞き返す人もいるかも知れない。そうではない。変化を’管理’しながら、箔ョ的かつ計画的に主導する時、近付く事態に備えることができる。しかし、状況に押されている時は、近付く事態に備えることができない。倒産する会社の多くが、状況に押されてつぶれるように、国家の運命も同じだ。金正日はこの事実を分かっているかも知れないが、BDAの金融制裁を解除するようにといいながら、核実験までしたことは、倒れそうになっている会社が3分利付きで急に必要なお金を借りるのと似ている面がある。このようにして倒産しない会社ほとんどない。

筆者が2.13合意はまともに履行されないと考える根本的な理由も、金正日政権に’2.13以後’の準備が全くできていないからだ。93〜94年の第1次核危機とジュネーブ合意、2000〜2002年の金正日の韓中日首脳との会談及び、チョ・ミョンロク総政治局長の訪米(2000.10.)、9.19共同声明(2005.9.)などが連続性を保つことができなかった根本的な理由は、金正日政権に’その次のプラン’がなかったからだ。2.13も同じだ。金正日政権が合意の履行後のプランを用意していなければ、2.13は途中でうやむやになってしまう。そのような点から、デイリーNKの人気連載である’ホン・ソンMの時代世評’で、金正日政権を’イベント企画社’と比喩したのは、非常に洞察力ある指摘だ。

対北戦略3原則

それでは外部から北朝鮮の変化を箔ョ的に促進させようとするには、どうすればよいのか。詳細な対北戦術まで全て列挙することは難しいが、何種類かの戦略的原則を守ることが一番重要だ。

第一に、北朝鮮問題を民族内部の問題の視覚から脱して、国際問題として診断しなければならない。この原則の下で、さまざまな戦術が出てくるだろう。 例えば中国を通じた対北圧迫が必要な時も、韓米合同で中国に要求事項を出すのと、韓国単独で出すのには大きな差がある。対北戦略の大きな方向を、民族の協力から国際的協力に旋回させなければならないということだ。もちろん、南北間対話、交渉、交流、支援などは誤った部分を直しながら、行わなければならない。これは必須である。概して国際的協力6、南北交渉4の割合に持って行くことで、北朝鮮の急変事態と、その後にも備えることができるだろう。

第二に、金正日政権と北朝鮮の住民を分離してアクセスしなければならない。これは対北戦略を’正常化’させようということだ。南北政府間対話と交渉という’トラックA’と、金正日独裁政権を弱化させる’トラックB’を、同時に稼動しなければならない。これは東西ドイツ、ベトナムなどの例から見られるように、終局、自らを中心に統一しなければならない相手との関係では言うまでもなく、歴史的に見ても、競争関係にある国の間では当たり前のことである。DJ以後、’トラックB’はほとんど稼動されなかった。ちょっとした例に過ぎないが、対北宣伝放送を撤収し、休戦ラインの北朝鮮の軍人たちの唯一の楽しみだった、南側の大型電光板さえ、私たち自らが取り上げてしまった。

対北戦略戦術には、空から一斉に降ってくるような神妙な計策があるわけではない。統一部などの政府当局が行う’目に見える政策’と、民−官合同の’目に見えない政策’を並行する原則を守らなければならないのだ。この原則を守るようになれば、各種の戦略戦術が多様に出てくることができる。そうした点から、対北戦略は、必ず専門家たちが主導しなければならない。

第三に、北朝鮮政権が、約束した事項は必ず守るようにしなければならない。北朝鮮は契約関係を無視する。契約関係というのは、あなたと私が同等な場合にのみ守られる。9.19共同声明、2.13合意文も、各国が同等な立場で締結した契約書だ。しかし、北朝鮮は首領主義が基本原則だ。首領主義は、首領がすべての人民に排他的に優越で独占的であるというものだ。したがって金日成−金正日に利益になるかどうかが一番重要だ。これは対外関係でも同じだ。金正日に利益になる合意は守り、利益にならない合意は守らないのだ。’一国家の対外政策は、対内政策の延長’という原理を、特に北朝鮮にあてはめて、何度もじっくり考えて見る必要がある。

したがって、北朝鮮を正常国家にするためには、契約関係を守るように強制しなければならない。契約関係を強制することは、結果的に北朝鮮の首領主義を弱める効果をもたらす。しかし、契約関係を強制することが韓国一国では大変であるから、国際的な協力が大きな戦略的枠組みにならなければならないのだ。また、北朝鮮政権が契約を守らなければ、きちんと厳しい態度をとったり、または最小限約束を守るまで待たなければならない。しかし、政権の任期がある自由民主主義国家は、常に任期中の業績を望むため、これは容易ではない。このため対北戦略に、更なる超政派的協力と、科学的な戦略戦術が要求されるのだ。

以上の3つの原則を守れば、何よりも北朝鮮の世襲首領主義という ‘取っ手’を回して開くことができる。すなわち、北朝鮮の改革開放は、金正日の首領主義の腰をくじくことから本格的に始まり、その次は中国式改革開放の道に従うこともでき、より進歩した路線を選ぶこともできるということである。

すべての変化は内部から来る

ロシア出身の北朝鮮専門家、アンドレイ・ランコフ(国民大招聘教授,デイリーNKコラムニスト)は20日にボイス・オブ・アメリカ(VOA)放送で、”北朝鮮はもはや、過去の全体主義国家ではなく、スターリン時代程度の自由が深く染み込んだ”と診断し、”旧ソ連や東欧のように、北朝鮮の高学歴エリート層を対象に、特別なラジオプログラムを放送しなければならない”と語った。これはDJや太陽政策論者たちは相手にならないほど、賢く正確な診断だ。

韓国では旧ソ連のスターリン時代と言えば、ただ無智で暴圧な首領独裁程度にしか知られていないが、それでも金正日独裁のように、30世帯を一つの単位としてまとめて、相互監視、統制、移動の不許可を維持してきた’人民班’制度はなかった。最も末端の単位まで統制と監視で縛った国は、北朝鮮しかない。

旧ソ連の体制の変化は、スターリンの死亡(53年)による首領独裁の弱化-ヘルシンキ協定(73〜75年)-アメリカの大ソ連戦略(80年代)-ペレストロイカ(80年代の末)が重要な分水嶺になった。この中でも最も重要なきっかけは、スターリン死亡後の首領独裁の弱化に続いた、階級独裁の弱化だった。これはソ連内部で起きた最初の大きな変化だった。その次がヘルシンキ協定だ。これはソ連と西側世界の相互作用の結果として出た、外部からの大きな変化だ。この二つのうち、それでもより重要な要因をあげるならば、内部的要因、すなわち首領独裁の弱化をあげなければならない。すべての変化は、常に内部から始まるからだ。

今後の北朝鮮の社会の変化の過程は、旧ソ連とまったく同じではないだろうし、また同じでなければならない理由もない。理論的には’スターリン時代程度の変化’が妥当だろうが、現在、北朝鮮の住民の現実はそれよりも一歩進んでいる。したがって、首領独裁の弱化に速度がかかるほど、改革開放の出路はより広がるのだ。

現在、最も重要なことは、北朝鮮に対する診断を正確にすることだ。そして状況に押されて行くのではなく、上で提示した3原則を守り、箔ョ的に対処して行かなければならない。そうしてこそ、時間−労力−費用に備える際、最大の効果がもたらされるだろう。