意識を失った私をここに横たえておいたようだ。悔しくて悔しくて唇だけかんでいたが、年配の衛生員(収監者)が来て脈を見た。
「お前、何歳だ」
「19歳です」
「随分若いな。そんなに幼い奴が何の罪を犯したんだ。盗みか」
「いいえ」
「それじゃ、なんだ」
「145条第2項です」
「ほお、そんなに若いのに人を殺したのか」
私の口からは到底人を殺したとは言えずに条項だけ言ったが、その衛生員は知っていた。
「衛生員さんも殺人で入って来たんですか」
その人はにっこりほほ笑んで言った。
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胸もとを見たら、リ・ハクモという名前と収監者番号が目にとまった。
「ここで4年暮らした。もうすぐ出られるよ!」
「そうですか、いいですね」
「ハハー、そりゃ、いいよ」
「ジュナ、ここで生きていくためにも堪える方法を学びなさい! こんな言葉がある。見なかった振りをして3年、耳をふさいで3年、黙って3年で生きて行く。私が見るには、お前もあまり悪い人ではなさそうだが、生きてここを出るためにも今日のような行動は慎みなさい。横でお前を支持してくれる人が多くて、腰を据えたのに悔しさが続くようならば戦って、悔しければ怒りを噴き出しなさい。それまでは絶対に自分勝手に行動してはいけない」
「よいお話をしてくださってありがとうございます」
「ここも見かけはみんな荒々しい罪人たちみたいだが、それでも人が暮らしている集団だから情はある」
雑用をする収監者が来て、お医者さんを探しに来たと言うと、彼はすぐに外に出た。衛生員は出て行ったが、なぜか彼が言った言葉が耳に響いた。
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もう死んだなと思ったが、その言葉を聞いたら心がいくぶん落ち着いて、生きる希望が見えそうだった。しばらく横になっていると、前日の夕方に汽車の駅で涙を浮かべていた母の顔が浮かんできた。会いたくてしょうがなかった。
「今、お母さんは何をしているんだろう」
故郷を離れた日の汽車の駅がふと思い浮かんだ。足かせが冷たかった。2人の警護員に連れられて駅の保安員控室に入って行った私は、親戚を見送りに来ていた友達のヨンチュンに会った。
「ジュナ!」
私を見ると嬉しそうに駆けて来たヨンチュンは、警護員たちに冷ややかににらまれて、目を丸くして私にどこに行くのかと聞いた。私を護送した警護員たちが言葉を遮った。警護員たちは私が去る前に母に会えば、逃走でもするのではないかと恐れたのか、心理的な刺激を与えないように家族にも知らせなかったのだった。
涙を浮かべていたヨンチュンは、私が目配せをしたので急いで自転車に乗って去っていった。母にはもちろん、道で会った友達に知らせるためだったようだ。幸い、その日私が乗る予定った汽車は、1時間半遅れた。
ヨンチュンが母と一緒に真っ先に到着して、その後友達や友達のお父さんとお母さんが数人、母の知人と町内のおばさんたちがやってきた。
警護員たちは保安員室の戸を閉めて会わせないようにしたが、タバコやお酒などの賄賂をもらったので会うことを承諾してくれた。母は私をつかんで涙を流すだけで、何も言えなかった。
「泣かないでください、お母さん! 私が帰って来るまで病気になったりしないで元気でいてくれなければいけませんよ。必ず生きて帰って来るので、その時まで待っていてください」
母はうなずくばかりで、止めどもなく涙を流した。
「ジュナのお母さん! 泣かないで。私たちは、ジュナは幼い時から岩のてっぺんに乗せても生きて来る奴だと言っていましたが、どこに行っても生きて帰ってきますよ」
みんなが励ましの言葉で母を慰めてくれて、立ち去る私に力をくれたが、私はその人たちと正面から顔を合わせることができなかった。