脱北して韓国に入国する人の数は、最も多かった2008年から2011年までは年間3000人弱に達していた。それが、金正恩氏が最高指導者の座についた翌年の2012年から半減し、北朝鮮国境が封鎖されたコロナ禍の中で2桁台に激減した。その後はやや回復しているものの、2024年は236人だ。
北朝鮮は2009年11月に貨幣改革(デノミネーション)を行ったが、これが大失敗に終わってハイパーインフレが生じ、食糧難に陥った。全財産を失い食い詰めた人々は次々に北朝鮮を脱出した。2025年の北朝鮮では再び、著しい通貨安、インフレ、経済活動の厳しい制限で、食い詰める人が続出しているが、当局は、脱北を食い止めるために極めて残忍な手法を動員している。米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が報じた。
平安北道(ピョンアンブクト)の情報筋は、黄海南道(ファンヘナムド)の知人から聞いた話として、脱北未遂者の公開処刑の一部始終を語った。
(参考記事:北朝鮮の15歳少女「見せしめ強制体験」の生々しい場面)30代のキムさん兄弟と兄の友人のリさんは、船を購入して数カ月間準備した上で、韓国に向けて出航した。しかし、海上で霧に包まれ、羅針盤だけを頼りに南へと進路を取った。
だが、彼らが出航したと思われる場所は、西海岸の康翎(カンリョン)湾の奥だった。一度南東に向かい、南西に舵を切り、海峡や数多くの島を避けて通り、ようやく黄海に出られるという難ルートだ。おそらく正確な海図情報を持っていなかったのだろう。
霧の向こうから1隻の漁船らしき船が見えた。3人は「われわれは韓国に行くために脱北した。助けてくれ」と叫んだ。しかし、それは北朝鮮の警備艇だった。今年1月6日の出来事だ。
(参考記事:韓国を目指し漁船で脱北の7人、エンジン故障で逮捕)そして2月20日、当局は黄海南道の甕津(オンジン)郡の冷井里(レンジョンリ)所在の工場、農場、学校に対して、「村の13番の田んぼに集合せよ」と指示を下した。言われるがままに集まった人々は、布で目隠しをされ猿ぐつわを噛まされ、手錠をかけて引き立てられてきた3人の若者を目撃した。
公開裁判を仕切った当局者は、「裏切り者の遺体を葬る土地などこの国にはない」と言い放ち、3人にそれぞれ90発の銃弾が撃ち込まれた。人体は原型をとどめず、飛び散った肉片はすべて燃やされた。
一部始終を見せられた小学生は悲鳴をあげ、あまりの残酷さに数十人の人が意識を失った。
(参考記事:【写真】玄永哲氏の銃殺で使用の「高射銃」、人体が跡形もなく吹き飛び…)
公開処刑を目撃した別の住民は、元々脱北を図ろうとして失敗した者に対しては15年の労働教化刑(懲役刑)が最高刑だったが、「今年から銃殺にすることになったと現場で聞いた」と述べた。
逮捕された3人は、あまりにひどい拷問を受けたのか両足で立つことができず、首、体、足など6か所を柱にくくりつけられた状態だった。そして、「国を裏切った者は処刑されて当然だ」として、1人あたり90発もの銃弾が撃ち込まれた。
凄惨な光景を見せられた人々は、当局のやり方の酷さに憤慨している。