在日本朝鮮総連合会(総連)中央本部の土地・建物が、競売で落札した香川県高松市の不動産会社マルナカホールディングスから、山形県酒田市のグリーンフォーリストに44億円で転売されるニュースが話題を呼んでいる。しかしマスコミ各社の報道に、総連本部ビルがいったいどういうもので、それが転売されることにどのような意味があるのかを解説したものは、あまり見られない。ここでは、総連発行の資料や総連関係者の証言をもとに、総連本部ビルの知られざる歴史と実態を解説する。(1月31日更新)

(総連本部とはいったい何なのか-上-からつづく)

金日成と韓?銖
金日成主席と総連初代議長の韓?銖氏

「与党訪朝団」計画の総司令部

総連本部(朝鮮会館)はかつて、北朝鮮の実質的な在外公館としての役目を堂々と果たしていた。総連の元幹部は語る。

「1990年の金丸訪朝に当っては総連が調整役となり、中央本部の対外部門である国際局の幹部たちが、内閣情報調査室と秘密裏に接触を重ねました。そうした役割のピークはたぶん、1995年ごろでしたね。

この年の3月、自社さ連立3与党が渡辺美智雄、久保亘、鳩山由紀夫の各氏を代表とする訪朝団を平壌に送り、日朝国交正常化交渉再開で朝鮮労働党と合意したのです。このときも、総連の国際局が調整に動きました。前年、核問題で戦争の瀬戸際までいった米朝関係が電撃的に改善した後だっただけに、これで日朝関係も変わるとの期待を強く持ったものです。

総連は故金正日総書記の誕生日(2月)や故金日成主席の誕生日(4月)に際し、北朝鮮の建国記念日(9月)に際し、政界やマスコミ関係者を朝鮮会館に招いて祝賀宴(立食パーティー)を催します。

95年4月の祝賀宴には3与党訪朝団の代表が顔をそろえました。とくに渡辺さんのような保守派の重鎮が来たことは画期的でした。

あの頃、渡辺さんは“次期総理”と噂されている人でしたから。この年は、7月8日の金日成主席の1周忌にも、渡辺さんや自民党の野中広務さん。土井たか子衆院議長らが献花に訪れています」

しかしその後、日本人拉致の追及は核・ミサイル開発に伴う日朝関係の暗転とともに政界要人の足は次第に遠のいた。以前は機関紙が、参加した国会議員の名を誇らしげに掲載して組織の威信を示していたが、最近では「日本の政界人士」としか書かれていない。

祝賀宴の参加者として有力政治家の名前が列挙されたのは、おそらく1997年が最後。10月23日に行われた金正日の党総書記就任を祝うパーティーには、次のような面々が参加した。

土井たか子・社民党党首、伊藤茂・社民党幹事長、野中広務・自民党幹事長代理、中山太郎・自民党外交調査会会長、林義郎・元蔵相、堂本暁子・新党さきがけ議員団座長、鳩山由紀夫・民主党幹事長、石井一・新進党幹事長代理、久保亘・民主改革連合最高顧問、矢田部理・新社会党委員長、谷洋一、久野統一郎、馳浩、上原康助、大脇雅子、田英夫、清水澄子、中西績介、海江田万里、大畠章宏、肥田美代子、金田誠一、山元勉、梶原敬義、伊東忠治、山崎力、鈴木正孝、坂上富男、武田邦太郎、細川律夫、常田享詳の諸氏をはじめとする国会議員、近藤龍夫・朝日イブニングニュース社長、滋野武・NHK報道局長、石川一彦・日本テレビ報道局長、三辺吉彦・TBS報道局長、早川洋・テレビ朝日報道局長、渡辺一彦・テレビ東京報道局長(以上、総連機関紙の紹介順による)

しかし1997年以降、テポドン発射(98年)や朝銀の資金流用をめぐる強制捜査(01年)、金正日氏が日本人拉致を自白(02年)したことなどが相次いだのを受けて、総連本部は日本の政治家にとって完全に禁断の場所となった。北朝鮮とパイプを持つアントニオ猪木参院議員らがたまに訪れることはあっても、与党有力者が訪問することはなくなっている。

(つづく)

【連載】総連本部とはいったい何なのか
【上】 花見客の間で光る警戒の目
【下】 「別にシンボルではない」と元幹部は語る

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