在日本朝鮮総連合会(総連)中央本部の土地・建物が、競売で落札した香川県高松市の不動産会社マルナカホールディングスから、山形県酒田市のグリーンフォーリストに44億円で転売されるニュースが話題を呼んでいる。しかしマスコミ各社の報道に、総連本部ビルがいったいどういうもので、それが転売されることにどのような意味があるのかを解説したものは、あまり見られない。ここでは、総連発行の資料や総連関係者の証言をもとに、総連本部ビルの知られざる歴史と実態を解説する。(1月31日更新)

靖国神社をのぞむ好立地

報道で一般的に「総連本部」と呼ばれる東京都千代田区の建物は、正式名称を「朝鮮会館」という。

JR飯田橋駅西口を出て外堀公園の遊歩道を市ヶ谷方面に進み、東京逓信病院の手前を左に折れると、外塀に青瓦をのせた建物が坂の上に見える。これが朝鮮会館だ。

春には、外堀公園の桜並木を目当てに辺りを散策する花見客も少なくないが、機動隊員が警戒の目を光らせるこの一角だけは空気の華やぐことがない。

航空写真を見ると、ちょうど法政大学と白百合学園、靖国神社、角川書店に囲まれた位置にある。しかし付近に立てられた地図板には、なぜかこの会館の名前だけが示されていない。総連が北朝鮮の「大使館的な役割」を主張し、固定資産税の免除を主張してきたことを考えると奇妙なことと言える。

会館の歴史については、総連発行のハンドブックに次のように説明されている。

朝鮮会館(朝鮮総連中央本部)の足あと

朝鮮総連と在日朝鮮人の団結の象徴であり、愛国愛族の心の結晶である朝鮮会館。
1986年9月25日に竣工した地上10階、地下2階の新しい会館は、東京都千代田区富士見町の高台に位置している。
朝鮮総連の結成当時、産別会館(東京都港区新橋)にあった中央本部は、1956年8月25日、新宿区信濃町に建てられた新会館に移った。しかしこの会館は、反動分子の放火により1960年6月19日、焼失した。
そのため朝鮮総連中央本部は、朝鮮新報社(東京都新宿区筑土八幡)、在日朝鮮留学生寄宿舎(豊島区西巣鴨)を転々とし、1963年4月15日に竣工した、以前の会館(現在と同じ場所)に移った。朝鮮総連の拡大発展にともない、現在の会館が新たに建設されるあいだ、朝鮮総連中央本部は1985年5月から1986年9月まで、臨時に朝鮮出版会館(東京都文京区白山)へ事務所を移していた。

ちなみに、朝鮮会館の建設を請け負ったのは、朝鮮学校の校舎建設などで総連と付き合いの深かった大成建設。日本経済がバブル経済に沸いていた中でのことでもあり、数十億円の建設費はすべて、全国の商工人からの寄付で賄うことができた。

会館の建設は、総連の寄って立つ基盤がまだまだ磐石であることを示していたとも言える。

(つづく)

【連載 総連本部とはいったい何なのか】
(上) 花見客の間で光る警戒の目
(中) 金正日「就任パーティー」に居並ぶ政界重鎮
(下) 「別にシンボルではない」と元幹部は語る

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