北朝鮮の「ドラ息子」乱闘騒ぎの苦すぎる後始末

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北朝鮮の「建国の父」である金日成主席が死去したのは1994年7月8日。北朝鮮では毎年6月末から7月初めにかけて「哀悼期間」が設定され、金日成氏を偲ぶ様々な政治イベントが行われる。2011年12月17日に死亡した金正日総書記に対しても同様だ。

毎年訪れる「服喪」の期間には、歌舞音曲など賑やかなことは徹底的に禁止され、事件、事故の類も一切許されない。些細な犯罪でも加重処罰される。追慕事業や銅像などの警戒勤務に参加するなどして静かに過ごすよう指示が下される。

(参考記事:金正恩命令をほったらかし「愛の行為」にふけった北朝鮮カップルの運命

そんな中で、首都平壌で若者たちの乱闘騒ぎが起きたと、現地のデイリーNK内部情報筋が伝えてきた。

事件が起きたのは先月25日、哀悼期間に入って3日目のことだ。平壌市の船橋(ソンギョ)区域にある2階建てのレストランで、20代の若者が集団で乱闘騒ぎを起こし、レストランのガラスのドアが破損するなど大騒ぎになった。

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北朝鮮におけるこのような乱闘騒ぎは、非常に激しいものになりがちだという。昨年3月にはロシアの地方都市で北朝鮮労働者とタジキスタンの労働者が乱闘を繰り広げ、その動画がネット上で公開されたこともあった。

(参考記事:【動画】北朝鮮労働者とタジキスタン労働者、ロシアで大乱闘

レストランのオーナーが双方をなだめたものの、乱闘はエスカレートするばかりで、ついには保安員(警察官)が出動することになった。保安署(警察署)に連行され取り調べを受け、彼らが下級単位の行政幹部(おそらく区域の幹部)の息子であることが判明した。

幹部は本人のみならず、家族に対しても普段からそれなりの行動、言動が求められているというのに、若者たちはよりによって哀悼期間に乱闘騒ぎを起こしてしまったことで、批判の声が高まっており、家族もろとも平壌から追放されるのではないかと噂されている。

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北朝鮮においては平壌市民であるだけで、様々な特権が与えられる。そこそこの生活レベルが保証されており、旅行証(国内用パスポート)がなくとも他地方への移動ができる。そんな恵まれた環境から、様々なインフラの整っていない地方に追放されることは、まさに「島流し」同然の刑罰だ。

かつて、哀悼期間に事件、事故が発生することはめったになかった。処罰を恐れて慎重に行動するからだが、ここ数年で状況に変化が現れ、期間中に様々な事件が起きている。

例えば、昨年12月17日の金正日総書記の命日の前日、北東部の清津(チョンジン)では、若者グループがレストランで食事中に乱闘騒ぎを起こし、全員が逮捕された。その場に居合わせた地元幹部は厳罰を指示しており、最悪の場合は収容所送りになりかねないものだったが、その後の処遇は不明だ。

(参考記事:金正日が死んだ日なんか関係ねぇ…北朝鮮の若者たちが大暴れ

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哀悼期間と同様、慎重な行動が求められる選挙期間中には、朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の軍官(将校)と大学生グループが平壌市内のレストランで乱闘騒ぎを起こし、軍官が処罰されている。

(参考記事:北朝鮮軍人と学生グループが大乱闘。しかし処罰されたのは…

このような事件は口コミで全国に伝えられるが、そのような状況が繰り返されたことで、市民が緊張しなくなり、それが事件、事故と繋がるという悪循環が繰り返されるのではないかとの指摘が上がっている。

韓国のNGO・脱北者同志会の徐宰平(ソ・ジェピョン)事務局長はデイリーNKのインタビューに、「首領(金日成氏)がどのような人だったかよく知らない世代が社会の中心を占めつつある今、哀悼する雰囲気も忠誠心も消えつつある。また市場経済化を通じて個人主義が拡散しつつあるため、このような現象は今後も起きるだろう」と指摘した。

かつての北朝鮮では、強いカリスマを持った金日成氏が頂点に立ち、人民に恩恵――つまり配給――を与え、人民がその恩に報いるというシステムが成り立っていた。ところが、金日成氏の死去と時を共にして北朝鮮を襲った大飢饉「苦難の行軍」を境に、そのシステムは崩壊してしまった。

「チャンマダン(市場)世代」と呼ばれる若者は、国が一切合切を配給していた1980年代以前の状況を知らず、国や最高指導者に対して「ありがたい」という気持ちを持たず、「国や社会より自分が大切」と考えると言われている。それが、哀悼期間中の事件の多発に繋がっているのではないかということだ。